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「優生学」実はアメリカが本場という話 低価値者は断種

優生学」という言葉を最初に使い始めたのは、イギリスの人類学・遺伝学者のフランシス・ゴルトン(1822年2月16日 - 1911年1月17日)である。

 ゴルトンはダーウィンのいとこであり、「自然淘汰」や「適者生存」の考え方を人間や社会の分析に持ち込んだ。
優生学とは人間の性質を規定するものとして遺伝的要因があることに着目し、その因果関係を利用したりそこに介入することによって、人間の性質・性能の劣化を防ごうとする、あるいは積極的にその質を改良しようとする学問的立場、社会的・政治的実践を指す。
 これを国家的に推進した国でまず思い浮かべるのは、ナチス・ドイツだろう。ドイツの優生学というと「生きるに値しない生命の抹消」というスローガンを掲げ、精神病患者や障害者への強制不妊手術と安楽死をおこなった。
また遺伝病子孫予防法という法律が制定され、障害者や精神病患者など「低価値者」と呼ばれた人々に対して強制不妊手術を実施。さらに1939年からは、彼らを大量に安楽死させる計画が始まった。この価値観に従って民族浄化という名のものとユダヤ人の大量虐殺・ホロコーストに繋がっていく。

優生学の先進国 本場はアメリカ*

 優生学というとナチス独自のものと思われがちである。が、しかし、ナチスが進めたこれらの施策を参考にした大元がある。優生学的政策を最初に本格的に実施していったのは実はアメリカ合衆国である。
イギリスの優生学の影響を受け、アメリカで優生学的施策は大々的に展開されているのだ。ナチスが参考にしたのは、アメリカの中でも際立って優生学的施策を推し進めたカリフォルニア州の法律を参考にしていたのである。
そしてドイツの優生学者のスポンサーとなっていたのは、アメリカのロックフェラーやハリマンなどの一族である。
 アメリカでの優生学の歴史を紐解くとはじまりは1902年。
 H.シャープというインディアナ州の少年院付き外科医であったH・シャープという人物が、犯罪者や精神障害者が急増しつつあることを憂慮し、その解決策として断種(手術で生殖器官を切り取って子孫を残せないようにすること)を説いた。
彼は42人の犯罪者に対して実際に断種手術を行っている。この事件をきっかけとして、1907年にインディアナ州は世界初の断種法を制定、他の州でも続々と同様の法律を制定するところが現れ、最終的には1937年までに32もの州で断種法が成立した。
特にカリフォルニア州では、精神病患者は断種を行ったものだけが施設の外に出られると定め、精神病者以外に梅毒患者や性犯罪の累犯者にも断種手術を行った。
1921年の全米での断種件数3233件のうち、カリフォルニア州の断種手術は2558件にのぼる。このカリフォルニア州の断種政策はドイツにも伝えられ、ナチスドイツの政策に取り込まれていったのだ。
アメリカはその政策を第二次世界大戦後も進めていた。
そしてアメリカで断種法や優生学が問題視されてきたのは、1960年代後半の公民権運動の高まりで、社会的弱者の権利も注目されるようになってからである。実際1962年にも、オハイオ州下級裁判所は、17歳の知的障害を持つ女性に対し断種手術を命じる判決を下した。 

日本「悪質ナル遺伝性疾患ノ素質ヲ有スル者ノ増加ヲ防遏スル」


 一方、日本では明治期、優生学の前身ともいえる変質論が、医学的文脈において輸入された。
 変質論とは、人類の正常型からの病的逸脱とみなされた精神疾患をはじめとする心身の疾患・障害および問題行動が、代々深刻化しつつ子孫に遺伝し、最終的には家系滅亡にまで至るとするものである。大正期には当時の社会問題であった結核、花柳病、らい病、酒精中毒、精神病などが遺伝の問題として論じられるようになったのである。この頃の遺伝観は、遺伝学の知識不足と偏見により、かなり粗雑だった。当時優生学の対象とされたのは、遺伝的な病気および障害(血友病、精神病など)、慢性伝染病(性病、結核、癲病など)、薬物中毒(アルコール中毒を含む)であった。犯罪等の逸脱行為をする者も遺伝的な病気と見なされた。こういった偏った遺伝観は国民優生法へと引き継がれていく。優生が法律として明文化されるのは昭和に入ってからである。国民優生法は1940年3月総力戦体制のもとで成立した(1941年7月施行)。
この法の前段階である民族優生保護法案は、ナチス断種法を模範としている。しかしながら国民優生法は、ほとんど機能しないまま敗戦を迎えた。そして敗戦直後の連合国の占領下にあった1948年、優生保護法が成立した。優生保護法は「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母体の生命健康を保護すること」を目的としており、「悪質ナル遺伝性疾患ノ素質ヲ有スル者ノ増加ヲ防遏スル」国民優生法と優生的な視点は同じである。
国民優生法の下で行われた優生手術は454件である。対して、優生保護法による本人の要請に基づかない優生手術は、49年から96年まで公式にカウントされているだけでも1万6520件に昇る。これらの本人の要請に基づかない手術は「医師の申請による優生手術」もしくは「審査を必要とする優生手術」と呼ばれたが、厚生省の指導に基づき強制的に実施された強制断種である疑いが強い。その後法律は母体保護法に取って代わられる。噛み砕いて言うならば、妊娠時に検査で、胎児が何らかの障害を持っている場合中絶してもよいというものである。
 1997年福祉大国スウェーデンで1930年代から70年代の間、強制断種が行われていたという事実が明らかになった時は世界中が衝撃を受けた。実際は福祉国家において有限な福祉予算の中で切り捨てられていくのは障害者・弱者であり、特に公立の施設で生活している者や福祉手当を受けて生活している者が断種の対象の対象とされる。
 優生学やそれに相当するものは、個人に対するものだけでなく、人種や民族にも影響を及ぼすのだ。

優生学の名のもとに―「人類改良」の悪夢の百年

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優生学と人間社会 (講談社現代新書)

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